ビジネス系の自己啓発書などを読んでいると、「会社員はもし自分が経営者だったらどうするか、と考えて行動すべき」というような話がよく出てきます。今日はこれについて少し考えてみます。
自発的かどうかで話が変わる
これは、個人が自発的にそう考えて行動するのであれば、その人の成長につながることも多いでしょうし、すばらしいことだと思います。
一方、経営者やマネージャーが社員にこれを要求し始めたらどうでしょうか。私が務めていた会社でも、特に最近は「個々人でいかに売上を上げるか考え、具体的な成果を出せ」というようなことが頻繁に言われていました。
要は「成果を出したら認めてやるよ」ということなんですが、これはある意味経営者やマネージャが自分の仕事を放棄しているとも考えられます。
もちろんプレッシャーをかければある程度社員は頑張ります。しかし、それでは馬の手綱もさばかず無闇にムチを入れ、優勝した時だけニンジンをやるのと一緒です。たまたまそれでうまくいく時もあるでしょうが、あまりうまいコントロール方法とは思えません。
まず経営者・マネージャーが全体の方向性を示し、それに対する各社員の役割を明確にしたうえで、各人の貢献に応じて適切な評価を行うという体制を整えれば、「自分で考えろ」などと口で言わなくても社員はおのずと自分で考えて行動し始めるはずです。
個別最適化では全体は改善しない
もう一つ、先日の生産性の話でもひっかかっていたのがこれです。
個人が頑張って生産性を上げれば、その人が担当している範囲については効率が上がるでしょう。では個人が各々の範囲で生産性を上げれば、それで会社全体の業績が上がって給料が上がるのかというと、必ずしもそうはなりません。
これは制約理論で有名な話ですが、工場の生産ラインのボトルネック(生産スピードの上限を決めるネックとなる工程)以外の工程では、生産性を上げても全体の生産性は改善しません。
ボトルネック以外の工程で生産性を必要以上に上げると、処理しきれない未完成の部品の在庫が増えて、逆に工場全体の収益は悪化します。ボトルネック以外の工程の生産性は上げなくてよいのではなく、上げてはいけないのです。
この例は工場のお話ですが、一般的なビジネスの場でもこの考え方は成り立ちます。
社員個人が経営者の立場に立って考えようとしても、その人が認識できるのは自分の業務とその周辺の限られた範囲だけです。したがって、それを元に考える効率化はどうしても個別最適化になってしまいます。たまたまその人が会社全体から見たボトルネックであれば話は別ですが、そうでなければ努力は報われない可能性が高いです。
この点でも、会社や部署全体を最適化する方法は、やはり全体を把握している経営者やマネージャーが考えるべきこと、ということになります。
以上、社員が経営者の立場に立ってものを考えるというのは、その人の思考トレーニングの場としてはよいですが、実質的な効果を求めるなら、それはやはり経営者のやる仕事である、というお話でした。
> ボトルネック以外の工程の生産性は上げなくてよいのではなく、上げてはいけないのです。
「上げてはいけない」は間違いではないでしょうか。
モグラたたき的な感じな訳ですが、
ハンマーは多い方がいいに決まってます。