ネットを見ていたら以下の記事が目に止まりました。
「社長目線で働こう」の本当の意味 : アゴラ – ライブドアブログ
以前私も社員は経営者の視点を持つべきなのかという似た話題の記事を書きましたが、自分と同じように部分最適化と全体最適化に注目されていましたので、興味深く読ませていただきました。
記事では、社長目線で働くとは「部分最適化をするな、全体最適化をしろ」ということだと思う、と書かれています。これは自分も同感で、目指すならそいいう方向性だと思います。
ただ一介の社員がこれを実践することはなかなか難しいです。私の記事で書きましたように、そもそも全体最適化を考えるために必要となる情報が普通の社員には十分に入ってきません。そして、もし全体最適化の方法を考えたとしても、更にそれをどう実現するかという難関が待ち構えています。
上の記事に出てくる製造部門と営業部門の対立の例で考えると、一社員がストレートな方法で全体最適化を図るならば
- 製造部門の社員が営業部門の要望に答えるために、部の生産目標に逆らって勝手に製品を増産する
あるいは
- 営業部門の社員が製造部門の作る在庫に合わせるために、勝手に営業活動を自粛する
ということになってしまいます。これでは評価されるどころか上司に大目玉を食らうのがオチです。
ここでドラマに出てくるような凄腕社員であれば、上司に取り入ってうまく操るとか、別の部署の同期を巻き込んで裏工作するとか、高等テクニックを使って事を成し遂げるのでしょうが、現実にそういうことが出来る人はなかなかいません。
それにもしそういうことができる人であれば、その人は一社員ではなく最初からそういうことを考えて指揮をとるマネージャーの職につけたほうが、会社としてもよほど効率的なはずです。
上の記事では、欧米型の成果型人事評価制度の導入が部分最適化を押し上げていると書かれていますが、より踏み込んで考えると、成果型人事評価制度自体よりも、それが適切に運用されていないことが原因ではなかと思えてきます。
上の例で考えると、製造部門と営業部門の部分最適化で会社の利益が損なわれているのであれば、それを察知して解消を図るのは、それらの部署を統括する事業部長あるいは場合によっては取締役や社長のミッションのはずです。それを果たせていないとすれば、彼らの評価が下げられて減俸されたり場合によっては交代させられたりするのが本来の意味での成果型の人事評価制度の運用のはずです。
上の記事は「見る人が見れば、きっと社長目線を持っている人かどうかはわかるはずだと思うんですけどね。」と結ばれています。しかし、その見る目を持った人を育生する気がほとんどないこと、そして場合によっては見ていても給料を上げないために見て見ぬふりをするなど、成果型人事評価制度をコストカットの道具としか考えていない多くの日本企業の経営体質が、この制度をダメにしている根本にあるように思います。