父親の四十九日終了
昨年12月以来続いていました父の死去に関わる行事ですが、とうとう一つの区切りとなります四十九日がやってきました。 四十九日当日の流れですが、大きく分けるとお寺での法要、納骨、法要後の会食の三段階となりました。 四十九日の法要をやる場所はお寺、葬儀会場、自宅など色々なパターンがあるようですが、うちの場合は檀家になっていますお寺の本堂で行うことになりました。
故あって2013年8月で15年以上勤めたソフトウェア会社を退職。再就職か、フリーランスか、はたまたこのままセミリタイヤに突入か、次の一手を模索します。
昨年12月以来続いていました父の死去に関わる行事ですが、とうとう一つの区切りとなります四十九日がやってきました。 四十九日当日の流れですが、大きく分けるとお寺での法要、納骨、法要後の会食の三段階となりました。 四十九日の法要をやる場所はお寺、葬儀会場、自宅など色々なパターンがあるようですが、うちの場合は檀家になっていますお寺の本堂で行うことになりました。
最近母親と父親の遺品整理的なことをちょくちょくやっているのですが、中でもちょっと大物で大変だったのが自転車です。 母親は最初、最近郵便受けにチラシが入っていた廃品回収業者に引き取ってもらおうと言い出したのですが、そのチラシというのが業者の情報が電話番号(しかも携帯の番号)しか書かれていないといういかにも怪しげな代物でした。
父親の死去に関わる手続きもだいぶ片付いてきましたが、今日は残っているものの中の1つである生命保険金の請求をするため、母親を連れて郵便局に行ってきました。 まあ保険金といっても金額的には大したことはなく、葬式代の半分程度が補填できるかどうかというレベルなのですが。
早いもので、父親が旅立っていきましたで書きましたように父親がこの世を去ってから、もう2週間近くが経ちました。 今日、自宅(実家)にて二七日の法要が行われました。 さすがに毎週お坊さんを招いて読経してもらうのは荷が重いので、今回は基本的にほぼ親族のみによる集まりとなりました。
父親の死去に伴う公的機関に関する手続きはほぼ市役所で済ませられたのですが、年金に関するものだけは年金事務所でないとできないと市役所で言われ、母親を連れて年金事務所まで行ってきました。 今回の手続きの本来の主旨は父親の死去に伴ってその年金を停めてもらうということですが、家族として一番関心があるのは今後母親がどのくらいの年金を受け取れるのかということです。
父親の葬儀はどうにか終了しましたが、この後も四十九日までの七日毎の法要など、イベントは目白押しです。 しかしそれよりも先に悩ましいのが、お寺へのお布施です。 一般的には葬儀の当日に僧侶の方にお渡しすることが多いようですが、うちの宗旨の場合は葬儀が終わった後からでよいということで時間的には少し余裕がありました。
先日父親入院につき、しばらくブログの更新は非定期としますで父親看病のためにブログは非定期更新にすると宣言したばかりですが、結末は予想外に早くやってきました。 12月1日に新居への荷物搬入完了で書きましたように新居への引越しがやっと完了したばかりだったのですが、それから程なくして父親の最期が突然やってきました。
昨日の記事をもって徳島での更新を終え、今日からは岡山で記事を書いていく予定でしたが、父親の病状急変につき今後しばらくはこのブログの更新を非定期とさせて頂こうと思います。 実は先週半ばに実家から電話があり、父親がベッドから落ちて入院したという知らせを受けました。
今日は残っていました大腸がん・前立腺がんの検診と特定健康診査をまとめてこなすため、病院に行ってきました。 とっとと済ませてしまおうと朝一から病院に向かったのですが、比較的早い時間だったために道路にまだ通勤ラッシュの名残が残っており、病院の受付開始時間に間に合いませんでした。
今日また父親のがんの診断のため、大学病院に行ってきました。今回で4回目の受診です。 今までは両親そろって出かけていましたが、今回は母親が外せない用事があるということで私と父親の2人だけでの受診となりました。 今回もまず血液検査を受けましたが、白血球の減少など免疫系への致命的な副作用は確認されませんでした。