元旦は再び姉宅にお呼ばれ

明けましておめでとうございます。

去年は元旦早々 能登半島地震で物騒な幕開けとなりましたが、今年はどうにか穏やかに明けましたね。

今年も姉の家にお呼ばれ

去年の元旦は正月は1日2食が定着したで書きましたように姉宅にお邪魔して挨拶してきましたが、今年もそれにならって再び姉宅にお邪魔してきました。

母親が暮れに実家を掃除したり料理を準備したりする気力がもう無くなってきたようで、年末に姉に電話して元旦に行くと話をまとめていました。

とは言ってもそんなにちゃんとしたものではなくて、うちからはケーキを買っていって、先方もスーパーの寿司的なものを多少用意してくれていて、姉夫婦と先方の親御さん、そして帰省している甥姪らでそれらをつまみつつ、2時間ほど歓談して解散という感じの軽い集まりでした。

もうあまり手間をかけなくても、こういう感じの集まりで十分ですね。2年続きましたので、姉が難色を示すまではこういう感じで続いていきそうな気がします。

気が付けば半実家暮らしももう6年

それにしても私が徳島を引き払って岡山に戻るのとほぼ同時に父親が亡くなったのが2018年の暮れでしたので、あれからもう丸6年が経過したことになります。

その後なし崩し的に母親の居る実家と自分で借りた借家の間を行ったり来たりする半実家暮らしが始まりましたので、それも6年続いたことになります。

その間に私は還暦を迎え、母親もとうとう90代に突入しましたので、これでもし母親に本格的な介護が必要になりますとリアル60-90の老々介護状態突入確定です。

まあ90-60問題(90代の親が60代の引きこもり子供の生活を支える状態)にはなっていないのがせめてもの救いですが。

私の場合、母親が自分で身の回りのことをできなくなった時には、たとえある程度姉の協力があったとしても在宅介護を長時間続けていくことは難しいと、ある意味冷徹に考えています。

したがってその時にはどこかの介護施設への入所を考える必要があると思っていますが、さてそれがいつになるのか。案外近いかもしれません。

まあその前に、父親の七回忌も終わった今年こそは父親が信心していましたお寺さんとの付き合いをまず清算したいのですが、さてどうなりますことやら。

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