他人と比較することが不幸を呼ぶ

以下の記事を読んで考えさせられました。

「悪魔のような実験」が見える化した嫉妬心の正体:日経ビジネスオンライン

人間、自分の感覚だけ信じていれば何の不満もないものが、なまじ人と比べてしまったために不満を感じてしまうことがよくあります。

特に、その中でもついつい人と比べたくなってしまうのが所得水準です。

他人と比較することが呼びこむ不幸を定量的に測る実験

所得水準を他人と比較することがどの程度不幸を喚起するのか、というのは以前から心理学や経済学などの学術的な研究対象であり、色々と実験が行われています。

しかしこの種の実験では、被験者間でどの程度正確に相手の所得水準を把握していたかを認識することが難しく、なかなか定量的な計測ができないようです。

ところが、米カリフォルニア州で「知る権利法」に則ってすべての公務員の給与水準が実名でホームページに公開されたことを利用し、意図的にそのホームページの存在を該当の公務員に知らせることで、他人との比較による不幸の度合いを正確に計測する、という恐ろしい実験が行われたそうです(比較実験のため、当然ホームページの存在を知らせない公務員も用意する)。

実験結果としては、やはり同僚の賃金水準を知らされてしまった公務員は、そうでない公務員に比べて有意に幸福度が低かったとのこと。ただし、その傾向が顕著に現れるのは、自分の賃金が平均賃金を下回っている時に限られるそうです。

更に3年後のフォローアップ検証では、自分の賃金が平均的な賃金水準を下回っていて、同僚の賃金水準を知らされてしまった公務員は、そうでない公務員に比べて40%も高い頻度で転職してしまっていたとか。

自分にも思い当たる節が

そういえば自分にも思い当たる節がありました。

現在私は雇用保険の給付を受けていますが、その金額は家賃や食費などの生活費を賄って余りあるものであり、絶対的な不満を感じるレベルではありません。

しかし、ブログ村のセミリタイア生活の記事などを見ていると、時々何かのはずみで雇用保険の給付水準を明かしている人がおられます。その額を見ると、自分より高い人が多いのですね。

それを知ってしまうと、たとえ生活上は不自由していなくても、やはり心中穏やかでありませんし、またそれだけで何となく将来への不安が大きくなったりすることもありました。

自分の感覚を大切にする

仕事などで激しく競争している時には、他人と比較することがある程度自分の励みになることもあると思います。

しかしリタイアやセミリタイアに向けて身を律していく段階に入ると、他人と自分を比較してもメリットになることはほとんど有りません。

ここからは自分が何に幸せを感じるか、自分がどれくらい今の生活に満足しているか、という自分の感覚を信じる心が大切になっていきます。

あと蛇足ながら、上の記事でも述べられていますが、他人と比較させることが会社のリストラに利用される恐れがあります。会社が給与水準や評価などの比較材料を公開した時には、水準の低い人に自主的に辞めてもらいたいという意図が隠されている可能性があるのです。

もし自分の給与や評価が他人より低いことを目の当たりにすることなったとしても、一時的な負の感情に流されることなく、ここでも自分の会社に対する感覚(勤めるに値する会社かどうか)や今後のライフプランを顧みた上で、冷静に進退を判断してください。

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