死ぬまでに使い切れない資産にも意味はあるかもしれない

少し早いですが、母親から還暦祝いのお祝い金をもらってしまいました。後期高齢者から還暦をお祝いされるというのもなかなかシュールな状況です。

こういうのはいらないよとも言ったのですが、気持ちだから取っておけというのでありがたく頂いておきました。敬老の日のプレゼントでも買って少しはお返しするとしましょう。

死ぬまでに使い切れない資産に意味はあるか?

この件でちょっと考えたのは、DIE WITH ZEROを読んで以来考えていました、死ぬまでに使い切れない資産に意味はないのか?という問題です。

私の場合、母親が亡くなってしまえばあと頼れる親類は姉家族くらいしかいません。姉は男の私よりは長生きするかもしれませんが、いずれにしても自分とともに高齢化していきますので、最後に頼れるとしたら甥姪ということになりそうです。

とりあえず今具体的に思いつくニーズとしは入院とか賃貸を借りるときの保証人とかでしょうか。あとは本当に最後の遺品の整理や葬儀などとか。

最近はそいうのを代行してくれるサービスなども出てきているようですので、できる限りはお金でケリをつけたいところですが、今のところどこまで使えるのかもはっきりしませんし。

そう考えると今回の件のように親子でさえ気を遣うのですから、甥姪にも何かとお祝いの機会などあればある程度心遣いをしておいた方が良さそうですね。そしてそういう行動を心置きなく行うためにも、ある程度資金的余裕を残しておくのは意味がありそうです。

遺産は最後の心理的拠り所になりそう

またそういう直接的な贈与は限定的だったとしても、死ぬまでに使い切れなかった資産が最後に残れば、それは遺産という形で甥姪に引き継がれます(姉が生きていれば姉経由で)。

甥姪に何らかの形で頼る必要が発生したとき、ある程度まとまった遺産が残せるという事実はそれに踏み切るための心理的な拠り所になりそうです。もちろん「遺産をやるから面倒を見ろ!」みたいなあからさまなことを言うつもりはありませんが、あくまで自分の中の心持ちとしてです。

自分の立場に置き換えて考えてみても、もし大して親しくもない叔父・叔母から何かの保証人などを頼まれたとしたら、ぶっちゃけ何の見返りも期待できなければ心理的障壁はかなり高くなりそうですし。

というわけで、もし死ぬまでに使い切れない資産が出るとしても、それは高齢期の残り少ない人間関係を維持するための潤滑剤としてはある程度意味があるような気がします。

もちろんそれは自分の人生の満足度を大幅に犠牲にしてまで確保するものではありませんので、生きているうちに使えるものは使ってライフクオリティを上げるというのが大前提の話ではありすが。

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