闘病生活の前に立ちはだかるお寺の壁

父親の闘病生活開始で書きました父親の病気の件ですが、次の大学病院の受診日は少し先でそれまでは抗がん剤を飲みながら様子見という状況ですので、一旦徳島に帰ってきました。

なにしろここまでの事態は想定していませんでしたので部屋に若干ゴミなども残したままでしたし、昨日書きましたタイヤ交換の件もあったりしますので。

思ったより重いお寺関連の負担

そんなわけで今日は実家から徳島への移動日でしたが、その前に父親がどうしてもお寺に早朝参拝したいというので朝5時起きで準備をしてお寺まで行ってきました。

何でも闘病平癒祈願のお札を頂きたいということでしたので、むげにも断れません。まあこれは1回限りのことですのでまだ良いのですが、今回の帰省でお寺に関する活動が両親の生活に想像以上に負担をかけている実態がわかってきました。

父親はうちの家系の親族を含む一定範囲の信者の取りまとめ役になっているようで、ガンの発病が発覚した今でもその任を解かれていないようです。

そのために様々な会費を集めたり書類を配ったりする作業が必要になりますが、父自身はもう十分には動けませんのでその分は母の負担になっているようです。

また来週にはお寺の信者さんがうちの実家に集まって、父の闘病平癒を願うお助行(他人のためにお題目を唱えること)があるらしいです。

まあ勝手に来てお祈りして帰ってくれるだけなら有り難いことなのですが、実際にはうちの実家でやる以上部屋を片付けたりお茶やお供えを準備したりと、準備をするのはうちの両親です。

とりあえず私も徳島に帰る前に会場になる部屋に置いてある荷物の片付けなどを少し手伝ってきましたが、病人本人やそれを看病する家族に負担をかけるこういうしきたりはどうなんでしょうね。

ひょっとして父親の頑固さは洗脳レベル?

これらの様子を見て父親に、こういう状況になった以上取りまとめ役は一旦辞退し、お助行もせめて他の信者さんの家やお寺で何か集まりがあるときに合わせてやってもらうようにできないのかと話してみました。

しかしお役目は後継者を見つけるまでは辞められない、闘病平癒のお助行は本人の家でやるものだ、と言って聞きません。

そうは言っても今は体を治すことが第一ですし、信者内の役割分担などは基本的にお寺が考えることだろうと言ってみましたが、お前の常識ではそうかもしれないが自分の常識は違うと頑として譲りません。

お役目の件などは、自分が辞めたら職場が回らなくなると言って体を壊しても仕事を辞められない社畜社員とイメージが重なってしまいました。

またがん発病という事態に至ってもここまでお寺にこだわる父の姿を見て、オウム真理教事件の時に盛んに使われました「洗脳」という言葉がちょっと頭をよぎってうすら寒く感じました(うちのお寺は一応日蓮宗の流れをくむ普通の仏教のはずですが。。。)。

父の治療の件だけでも十分いっぱいいっぱいなのに、まさかご利益を頂けるはずのお寺がこんな形で闘病生活の前に立ちはだかってくるとは。。。。はてさて、どうしたものか。

ああ、完全に結論の無い愚痴になってしまいましたね。失礼しました。

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