父親の一周忌が終了

早いもので去年末に父親が亡くなってから早1年が過ぎ、一周忌法要を行ってきました。

お寺で一周忌法要

今回も父親の四十九日終了で書きました四十九日の場合と同様、法要はお寺にお願いしましたので式自体は滞りなく進みました。しかしその前の準備や、終わった後の参拝者へのおもてなしがやはり結構大変ですね。

今回は会食は無しでしたがその分、折詰めなどを用意しましたのでその受け取りやお茶の準備、ご住職への挨拶などで結構ドタバタしまた。

今は私と姉に加えて母親がまだかなり動いてくれますので何とかなりましたが、次の母親の時にはさらに苦労することになりそうです。

親はその辺の子供の苦労を減らすためにお寺と懇意にしている節もあるのですが、こちらからすればお寺特有のよくわからないしきたりに振り回されたり、あまりよく知らない信者さんの対応に追われたりで、正直言ってあまり有難味が感じられません。

どちらにしても苦労するなら、場所は葬儀会館にしてお坊さんも葬儀専門の方に来ていただく方がよほどスッキリするのでは、と私などはドライに考えるのですが、親の方はなかなかそれでは済ませてくれそうにありません。

あって当たり前と思うとデメリットは目に入らない

このあたり、なぜ親がこれほどまでお寺に固執するのかと以前から考えていたのですが、最近ちょっとその理由がわかってきたような気がします。

親からするとお寺との付き合いは生活の中に組み込まれていて、多分有るのが当たり前という感覚になっているのですね。

実際には毎月何回もお寺での集まりがあり、母親は足が痛いとぼやきながらも出かけて行って参拝するとともに掃除なども手伝っているようです。多分お布施なども毎月それなりの額を支払っていると思います。

その割にメリットといえば葬儀や法要の時に便宜を図ってもらえること(当然その都度お布施は取られますが)と、お寺の信者さんとの交流ができることくらいです。

私からすると得られるメリットがとても投入した時間とコストに釣り合わないように見えるのですが、多分やるのが当たり前と考えている人はメリットの部分しか目に入らないのですね。

もちろん何を信仰するかは自由ですので本当に良いと思ってやっている人にとやかく言う必要はありませんが、その割に母親はお寺関係で愚痴が多かったりするのですよね。

それでも今はまだ母親がかろうじて自力で動けているからまだよいのですが、本当に体の自由が効かなくなってきたときにどうするかは悩ましい問題です。

今は核家族化が進み、高齢者が自らの終活の一環として墓じまいやお寺からの離檀を進めるという話も聞くようになりましたが、うちでも今後どうしていくか話し合う必要がありそうです。

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