為末大さんの以下のツイートが議論を呼んでいます。
Twitter / daijapan: 成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが ….
そして、それに続く一連のツイート。
daijapanさん連続Tweet:【努力で成功できるか】について
様々な意見が出ています。
「産まれと才能 > 努力」だと思う人が、ひと昔前より増えていると感じるし、実際「努力が報われない世の中」になってると思う – 自意識高い系男子
佐々木俊尚さんのツイートまとめ/努力しても報われない今後の社会では「いかにして身の丈に合った諦念を受け入れられるかが個人の幸せを左右する」 – Togetter
今日はこれについて考えてみます。
自分の今までの経験を振り返ってみると、自分にしろ他人にしろ、 行った努力が必ずしも報われないということは正直事実だと思います。しかしその一方で、子供たちや若い人たちに「努力なんかしても無駄だ」とは言いたくない自分がいます。
では自分の経験をふまえて努力について今言えることは何か?と考えた時、以下の為末さんの言葉が一番心にしっくり来ました。
努力には三つある。何を、どうやって、どのくらい。努力を怠らないと言っている人が、どのくらいだけを話している事が多い。自分で選んだ道でもなく気がついたら歩いていた道でただ耐えて積み重ねる事は努力を怠っているともいえる。選ぶ努力は結構辛い。
自分の人生を振り返った時、「選ぶ」ということに対する真摯さが足りなかった、という思いがあります。
最初の就職先を選ぶ時、自分が何をしたいかよりも大企業だからという理由が大きかったと思います。配属先が決まるときにも、組織の一員として働いていればやり甲斐も生まれるだろうと漠然と考えていました。また2つ目の職場で意に沿わない異動命令が出た時も、会社が望むのならしょうがないと大きな抵抗はしませんでした。
もちろん、これは後から振り返って思うことで、各々の時点で自分の強い希望を打ち出してみたり強く抵抗してみたりしていたら、今より状況が改善していたのかどうかは正直わかりません。実際、最初の会社も2番めの会社も最近はリストラの嵐が吹き荒れていますから、個人の希望などでは何も変わらなかったかもしれません。
それでも今思うのは、「もっと自分の希望を大切にすればよかった」ということです。
もっとも、言葉で言うのは簡単ですが、本当の自分の「望み」や「やりたいこと」が何かを見極めるのは大変なことで、それ自体に努力が必要です。ですから、これからの自分に必要なのは、自分が求めるものが何かを常に問い続け、その時点で選んだことに少しでも近づけるよう努力することだと考えています。
それでも努力は報われないかもしれません。でもそうすることが、自分が最後を迎えた時に抱く後悔を少しでも減らす道だと思えるからです。
努力のこと ちょうど考えていたところでした
選ぶ努力
選ぶことに努力した経験がなく
努力しようと思ったこともなく
それ自体を努力とも感じていませんでした
つまり、この視点はありませんでした